Skip to main content

【CxOキャリア】山本 正喜氏のキャリアストーリー

CxO MAGAZINE編集部
2024/12/06 9:55:00

CxOキャリアストーリー001

CTOからCTO&CEO兼務、上場してCEOへ専念。日本語という「言語」で企業をプログラミング(経営)していく

CxO キャリアサマリー

山本 正喜 
株式会社kubell 代表取締役CEO

  • 2000年:大学在学中に兄と「EC studio」(現Chatwork株式会社)を創業。のち2004年に法人化。
  • 2011年:Chatworkを提供開始。プロダクトマネジメントも担当。
  • 2018年:Chatwork代表取締役CEO兼CTOに就任。
  • 2019年:東京証券取引所グロース市場に上場。
  • 2024年:Chatwork株式会社を「株式会社kubell」に社名変更し、BPaaSをはじめとした事業領域の拡大。

CEOというキャリアを選んだきっかけや背景は?

右向き_山本さん@kubell山本氏: そもそも、全然想像してなかったです。エンジニアにはなりたかったんですけれどもマネジメント側になりたいとも全く思っていなかった。ましてやCEOにはなりたくなかったし、なれると思っていなかった。昔の自分からすると想像できない位置にいるんじゃないかなとは思います。

---皆さん狙ってCEOになる人も多いですよね。まさしく大学まで遡ってエンジニアを目指したところから、どのようにそのキャリアを考えるようになったのでしょうか。

山本氏:エンジニアというか元々はゲームクリエイターにずっとなりたかったんです。ちっちゃい頃から親のお古のパソコンをもらってたので、それで遊ぶようになってプログラムってこういうふうにやるんだっていうのが始まりですね。
いつかエンジニアリングだけじゃなくて、企画からデザインから音楽から全て含めて、自分でゲームを作れるようになりたいなっていう中から、パソコンとかも触り出しました。
大学生になるにつれていろいろ役割があって細分化されてるんだみたいなのがわかってきたので、そこからはエンジニアリングやって、みたいな。

---ベンチャー企業のCxOになったのは、今のkubell(旧Chatwork社)からでしょうか。

山本氏: 我々は、kubellになるまでに二度会社名が変わってまして、Chatworkの前はEC studioという社名だったのですが、その時代ですね。兄弟で学生起業してるんですけれども、兄がCEO、弟の私がCTOという役割でマネジメントというポジションは初めて経験しました。

---CTO、CEOのキャリアはそれぞれ何年ですか。

山本氏: CTOって名乗ってなかったときもあるんですよ。一番最初は専務取締役という役職で、当時CTOという役職自体がそんなに世の中に広まってなかったような。CxOってつく習慣がなかったですよね。
ちょうど今年(2024年)設立20周年なんですが、2004年の11月に会社を作りまして、そのときは代表取締役社長と専務取締役でした。そこからCTOって途中で名乗り出たのは数年経ってから、割とCxOっていうのが流行ったときに、CTOと名乗るようになったな、と。
CEOになったのは2018年6月1日からです。ただ、2018年6月にCEOになったときCTOも兼務していて、2年ほどはCEO兼CTOという肩書きでした。ちなみに上場したのが2019年の9月24日だったので、CEO兼CTOという役割を担ってから上場まで1年ほどでしたね。

CTOとしてのやりがいとは?

正面_山本さん@kubell山本氏:最初はエンジニアとしてもうひたすらコードを書くっていうことをやり続けていたんですがが、限界に当たったんですよね。結局一人でプログラムを書いていてもできることには限界があるので、よりよいプロダクトを作るためには、組織で開発をしていかなければいけませんでした。そのときに誰もマネジメントできる人材がいなかったので、自分がやる選択肢しかなく正直嫌々マネジメントをやっていました。
エンジニアってマネジメントする立場になるのが嫌な人って結構多いんですけどその気持ちがすごくわかるんです。コード書く時間が減るのが嫌なんですよ。自分自身の技術を磨きたいとか、コード書くこと自体がすごく楽しいのに、マネジメントやっているといろんなことに向き合わなくてはならなくて。個人の目標設定や評価などすごく大変だったことを覚えています。
そんな中で、自分自身としてそこの価値観のブレークスルーがあったタイミングがありました。プログラミングって一定の単位のオブジェクトというもので概念をまとめて、それを相互に連携させることで大きなシステムを作っていくんですけど、ある時プログラミングの考え方を人で置き換えてみたんです。僕をプロジェクトリーダー、AさんBさんCさんみたいにそれぞれオブジェクトのように見立てて、AさんBさんCさんみたいな人たちを連携させてもの作りをしていくっていう。「あれ?これはマネジメントはプログラミングと同じなんじゃないか。」ということに気づいて、日本語っていう言語でマネジメントのプログラミングシステムを書いているんだなみたいな。そういうところに至ったときに、これももの作りの領域なんだって思えるようになりました。
そう考えられるようになってから、マネジメント嫌だ嫌だって思っていた思考から、ちゃんと勉強しようとマネジメント本とかを読み漁るようになって。自分自身として何かもの作りのようにトライしていって、マネジメントが自分の領域として捉えられるようなってきたかなと思うので、そういう意味ではそこら辺からCTOの自覚というかマネジメントとしての自覚が出てきたのかなと思いますね。

---そのような境地をどのように捉えましたか?

山本氏: 結局、最初の創業のときはほぼ自分がコード書くみたいな世界観なんですけど、ビジネスが大きくなってきてチームのエンジニアリングチームの規模が5人とか10人とかになってくると、結局マネジメントの仕事も増えてくるんですよね。そのときにジレンマがあったという感じでしたね。
エキスパートで勝負していくというキャリアと、ゼネラリストとしてマネジメントをやっていくっていう大きなキャリアの分岐点って、皆さん悩まれるのかなと思うんですけどまさにそれでした。20代後半ぐらいでよく悩まれるような典型的な例かなと思いますが、自分自身としてはエキスパートの感覚でマネジメントになってたようなそんなイメージがありますね。もの作りの一環という意味ではマネジメントをやるべきだっていうふうに捉えた感じですね。

---マネジメントに対する抵抗からエキスパートに進む人も多くいらっしゃると思います。この分岐で悩む方にとっては重要なヒントになりますね。

山本氏: そうですね。そこからもう少しブレークスルーがあったのがCTOという役割でもの作りっていうのにこだわってやっていた時期でした。とある社運をかけたプロダクト開発のプロジェクトで、会社として大失敗をしてしまったんですよね。社運かけて何人もエースメンバーをアサインして、開発したプロダクトが結局泣かず飛ばずで上手くいかなくて、会社が窮地に陥ったことがあるんですよ。Chatworkにチャレンジする前のプロダクトがそういう状態でした。そのときすごく反省をしたんですよね。自分自身としてもの作りっていう領域をやっていたので、何かその企画側というかビジネスサイドっていうのは自分の領域じゃないと思ってたんですよね。ビジネスサイドの人がこういうのを作りたい、こういうのを作ってほしいって言ってくれて、それをいかにいいものを作るのかが自分の役割だって思ってたんです。自分自身としてはそこに最大限コミットしてたんですけど、結局そのプロダクトが二進も三進もいかなくなっていろんなことを繰り返しながらも結局閉じることになったんです。
そのときもっと企画側としてどういうふうにしていくべきかみたいなところを自分自身でも同じ意識で取り組めばよかったなって反省をしました。ちょうど当時、スティーブジョブズがAppleに戻ったタイミングで、ジョブズが一元的に全部見ていて、合議制で革新的なものは作れないと、いいものを作るにはやはり強い意思決定が必要なんだ、みたいなことを聞き及んで。それにすごくインスパイアされましたね。確かに合議制でやってたなと。会議でみんなの意見の妥協点でロードマップを決めてたんですよ。特に前のプロジェクトの経験を経て、これは駄目だと。自分自身としてそこに対してビジネスサイドを含めてコミットして作らないと駄目だなっていうところから次のChatworkでプロダクトを私が作ることになるんですけど。
そこで宣言したんですよね。もう自分でやらせてくれと。開発のコードを一番書いてたと思いますけど、もう事業長という立場でビジネスサイドも全部やるというところで、普通にマーケティングみたいなものとか、営業みたいなものとか、もう領域を飛び越えて全部やるみたいなことをChartworkのときはやっていたのかなと思っています。
そのときはある意味CTOの枠を超えていたと思います。それとCOOであったりCPOであったり、CTOであったりみたいな三つぐらいのロールを、全部小さい規模ですが自分でやってたなっていう感じですね。
当時のCEOは兄でCOOは山口さん(現在副社長CNO)でした。ですが兄はChatworkを作って「これで世界が変わる」と確信してすぐにアメリカに行きました。CEOが日本に不在という状況があり、当時COOに山口さんがいらっしゃったんですけど、山口さんはどっちかというとChatworkではなく別の事業の主幹で、僕は新規事業のChatwork担当だったんです。なので自分が新規事業長兼開発みたいな形で立ち上げたのがChatworkでした。
立ち上げ当初はCPO的とかCOO的なロールをやるようになっていて、Chatworkが大きくなるにしたがって、そのあたり組織としても山口さんに再度見てもらうみたいな形になっていきました。僕自身も組織が見られるようになったりとか、会社にとって一番足りてないロールを自分がやるっていう意識でずっとやるようにしてたら、結果、割と全部経験していたっていうのがあるんですよね。CEOっぽいこともCPOっぽいことも、あとは人事評価制度とかも作ったことがありました。

Chatwork成功の舞台裏

パネル_山本さん@kubell山本氏: 初めは社内ツールとして開発したものだったんです。私は最初から事業化したかったんですけど、前のプロダクトが大失敗したのに新しいプロダクトをやるなんて無理でしょうという感じでOKが出ませんでしたね。それでもどうしてもやらせてくれと説得しました。結局社内ツールだったらいいよということになり、そこからスタートしました。
これがいい出来だからということで事業化のOKが後からでたという流れで進んでます。なので会社としては小さいスタートというか、社運をかけたということではなく、もう僕の個人プロジェクトみたいな形でスタートしました。
我々がリリースしたのは2011年3月1日なんですけれども、その3ヶ月後にLINEがリリースされてるんですよね。我々はLINEさんよりも前にリリースをしてるんですけれども、携帯メールなどで個人のやり取りが主流だったので、チャットというものを触ったことがある人は世間にほとんどいなくて、パソコンに詳しい人くらいでした。
それぐらいの時期に、僕は「ビジネスチャットです」「チャットで仕事しましょう」と言ってたので、正直、時代として早すぎたっていうのはあったと思います。
今みたいなスタートアップみたいな言葉もなかったので、ピッチイベントに出て知っていただくみたいなこともなかったですし、当時SNSが流行ってて社内SNS・社内Twitter・社内Facebookみたいなことがこれから流行するって言われたときに、僕らはビジネスチャットっていう何かトレンドに全く合ってないようなことをやり出したので、メディア受けも悪かったなとは思っています。
その中でもごく一部、チャットで仕事してたような人たちがいらっしゃったんです。自分たちも含めSkypeのチャットで仕事をしていたんですけれども、フリーランスの方とかアフィリエイターの方とかは結構使われている方が多かったんですよね。でも、チャットで仕事してても全部インストールベースのチャットツールだったのでマルチデバイスでは使いにくかったんですよ。それが全部クラウドになってて、ビジネス向けに名称の機能とか、タスク管理の機能とかがあって、とか組織管理者向けの機能がある、みたいなものは他になかったので、それがすごく刺さって。ごく一部の熱狂的なファンについていただいていたのがChatworkの本当の初期の頃でした。そこから反応がありながらも、そんなにドカーンという勢いがあるわけではなく、細々とやってきたのかなと思うんですけど、大きく風が来たのはLINEが流行ったっていうところと時間的にリンクしていた体感です。LINEがリリース1年ぐらいでものすごい勢いで世の中に普及していったんです。チャットというものに慣れる人が圧倒的に増えて、そのタイミングでLINEで仕事をする人どんどん増えてきました。
一方でプライベートにも使われるツールが仕事で使われはじめると、情報漏洩やグループの管理などさまざまな問題が出てきたりすることもあり。ビジネス向けチャットツールはないのかと調べ出して、そのときにChatworkというものがあるんだっていうところが発見され出したのが大体2014年ぐらいですね。
ts3_web_ios_variation_01 (1)イメージした3年後ぐらいにビジネスチャットブームが来たという感じでした。それまでの3年間はほとんど競合もいなくて、ブルーオーシャンに一隻の船が行くみたいな感じの状態だったんですけど、3年後に突然、ビジネスチャットが普及しはじめて超絶レッドオーシャンになったみたいな、なんかそんな感じで。ただそのときには僕らに3年のアドバンテージがあったので、トレンドがきたときに、No.1のプレーヤーとしてたくさんのユーザーを獲得できてぐっと伸びたのが大きかったのかなと思います。
タイミングは大きかったですね。ビジネスでもよく言われる、良いタイミングで波が来たときに乗れる状態になっているという形を作れていたのは重要だったと思います。もうトレンドがきたあとだと大手とかが気づいているので、そこから新規参入してもなかなか勝てないんですよね。

---当時はその波に乗るまでが大変だったと思いますが、改めて振り返るとこの時間軸で動いてきて正解だったという答え合わせになりますよね。

山本氏: そういう意味ではあの時間軸で出せていたから、今の私達があると思っていて、何か自分たちがものすごい技術力があると思ってないし、すごくキラキラのキャリアの人たちで創業したメンバーでもないです。なので、そういう意味ではビジネスチャットで仕事するということを、その時代で自分たちが実感をもってわかっていたことと、やはりタイミングみたいなことが非常に大きな要因だったとは思いますね。

C背景ぼかし_山本さん

山本氏のCxOストーリーは第二弾へ続きます。