【CxOキャリア】竹内ひとみ氏のキャリアストーリー

CxOキャリアストーリー010
シリコンバレー移住、4人のママから米国で起業家に。これからも主戦場はU.S.A!
CxO キャリアサマリー
竹内 ひとみ 氏
Coloridoh Inc. 代表 (アメリカカリフォルニア州)
兵庫県生まれ 4児のママ。
- 短大卒業後ベンチャーでの営業職、結婚後は料理教室講師やフードコーディネーターとして活動。
- 2014年シリコンバレーに一家で移住し、起業家専門のシェアハウスを運営。
- 2019年にカリフォルニアでColoridoh(コロリドー)創業。2022年9月、正式に日本でローンチ。
これまでのキャリアについて教えてください
竹内氏: 高校時代にホームステイを経験し、アメリカの高校生の自由な雰囲気に魅せられ「アメリカに留学したい!」と思ったことがあるんです。担任や親に相談すると、まずは短大の英文科に進むよう勧められ、短大に進学しました。ところが卒業の年に阪神淡路大震災が起こり、当時三宮(神戸)が通学経路だったため、学校にもなかなか通えず、留学どころではなくなってしまいました。三宮ではアルバイトもしていたので、一旦、留学も諦めてアルバイトとボランティア活動を5ヶ月ほど続けているうちに、気づけば新卒採用の時期も過ぎていました。
ある程度生活も落ち着いたころ、このままではいけないなと就職活動をすることに。どうせなら英語に関わる仕事に就きたいと探していた時に、ある求人誌に英語レッスンも受けられる英会話・コンピュータースクールの営業職の募集が掲載されていて、そこに採用されたのがキャリアのスタートです。
仕事自体は順調でした。営業職は合っていたようで、24歳で課長に昇進しました。ですが、数字を追いかける日々に少し飽きてきたタイミングで、ちょうど知人がIT系ベンチャーを立ち上げるという話があり、ソフトウェアの営業職としてお誘いいただいたんです。SEばかりの6人ほどの小さな会社でしたが、「これからITの時代が来る」と肌で感じていたので、面白そうだと思いジョインしました。時代はちょうどドットコムバブル期で、目まぐるしく変化する状況が刺激的で、楽しかったのですが、まだまだ女性が営業職として活躍する場面は限られており、接待を伴う業務も多かったんです。独身時代は良かったのですが、結婚して続けられる仕事ではないと感じていました。
--その後のキャリアはどうなったんですか?
竹内氏:結婚しても一生仕事をしない。という選択肢はなかったので、長男を妊娠し、育児休暇の間にキャリアをどうするか考え、まずは資格を取ることに。特にやりたいこともなかったのですが、生活の役にも立つだろうと、趣味でもあった料理の資格をいくつか取りました。
長男が生まれてからは子育てに集中していましたが、生後3ヶ月くらいで家に閉じこもっている生活が辛くなってきたんです。子育ては楽しかったし、家事も嫌いではなかったけど、何か行動していないと自分が腐ってしまうような気がして、「働きたい!」と夫に相談しました。反対されましたけど1週間かけて説得し、長男が生後5〜6ヶ月のころに大手料理教室に転職し、2年ほど講師を務めました。
その後次男が生まれたのですが、次男の保育園が見つからず、長男の幼稚園もどうするか考えなければならなくて、一旦仕事を諦めることになったんです。
そして長男の幼稚園生活がスタートし、ママ友たちから「料理教えて」と言われるようになり、自宅で料理教室を開いたり、雑誌のフードコーディネーターの仕事にも声がかかるようになりました。さらに3人目、4人目と出産し、育児と家事に追われる生活の中、夫が創業した会社の業績が悪化し、従業員もゼロになり、私が彼の仕事も手伝うことになりました。
朝から深夜まで働き通しの日々でしたが、夫の会社の業績は上がらず、苦しい時期が数年続きました。
子育てしながらのアメリカ移住、起業へのチャレンジ
竹内氏:夫の会社の手伝いだけではお給料ももらってないので食べていけず、私が本格的に仕事をしようと考えたのは40歳の時です。短大卒ということに加え、子育て中心の生活を送っていたので、10年間のキャリアブランクがありました。転職サイトを見ても「35歳まで」といった条件が多く、応募すらさせてもらえない現実にショックを受けました。これまでの経験で営業の仕事には自信を持っていたから、私の実力が正しく評価されないことに悔しさを感じました。
「ポテンシャルはあるのに、評価されず、就職のチャンスもないのは企業にとってもマイナス。何か世の中の仕組みを変えたい」と、思いました。ただ、普通の主婦が何を言っても影響力はない。だったら何か起業して成功すれば、世の中に良い影響を与えられるかもしれない。と、初めて起業を意識しました。私が世の中を変えればいいじゃんって。
その頃実は離婚するかどうかの話も出ていたのですが、夫が前から移住したいと言っていたシリコンバレーへの移住が現実化し、家族と仕事の再起をかけて子供4人を連れて移住する決断をしました。
これは夫のアメリカでの事業計画に出資者がついて、実現したのですが、もちろんお金の余裕はないので、シリコンバレーの高い家賃をカバーしたり、仕事のネットワーキングも一石二鳥でできるだろうと、起業家やエンジニア限定のシェアハウスをスタートしました。
--起業の準備とシェアハウスの運営、どのように両立されていたんですか?
竹内氏:起業についてはすぐに具体的なプランがあったわけでもなく、まず最初の3年間は夫の事業をサポートすると決め、生活の安定や子供たちを新しい環境に慣れさせることに集中しました。
シェアハウスでは私がゲストの世話や家事を担当し、洗濯掃除のほか、毎日3食、20人分の食事を作っていました。
夫が「起業家からあまりお金を取りたくない」という方針だったため、シェアハウスの料金も非常に安く設定していて、1人3食つきで40ドル、シーズンオフにはさらに安く30ドルにすることもありました。休日といってもシェアハウスには誰かしらいるので私には休みなんてなく、7年間でまともに休んだのは1週間にも満たなかったかな(笑)。アメリカでも朝から晩まで働いて貯金はゼロ。生活はギリギリの状態でした。
--そこから現在の起業へとつながったきっかけは何だったのでしょうか?
竹内氏:ずっと起業については頭の片隅にあり、お金がないので初期コストがかからず、かつ、子供達のことを考え、少しでもスケールできるアイディアを探していました。私の中で、2つほど課題を感じていて、少しでも助けになるようなモノやサービスがないかと考えていました。
解決したいと思った課題の一つは「子育てに悩んでいる親が多い」ということ。私は4人兄弟の長女で、子どもとの接し方が自然と身についていたこともあり、子育てがそれほど大変ではなかったんです。しかし、友人たちが母親になって「ちゃんと育てなきゃ」というプレッシャーを感じすぎていたり、見つからない正解を探していたり、世間の常識にとらわれていたり。子供に愛情があるのに怒ってしまう表現になるのが、すごくもったいないなと思ったんです。まずは母親の気持ちによりそうことによって自然に子供も健やかに成長できる。そんな信頼関係が構築しやすい仕組みを作りたいと思いました。
もう一つは、「食」を通じた人々のつながり。シェアハウスには7年間で6000人以上が訪れました。国籍や文化の違う人々と食卓を囲むことで、性格や国の違いなど関係なく、コミュニケーションのハードルを超えて仲良くなれるのが「食」であると実感していたのです。だから「食」を通じて人々をつなげる仕組みを作りたいと考えました。
今の事業(Coloridoh Inc.)を選択した理由
竹内氏:Coloridoh Inc.では、現在、粘土遊びのように楽しみながら作れるカラフルなクッキー生地をメインプロジェクトとして販売しています。きっかけは、起業を考えていたタイミングで参加したポットラックパーティー(持ち寄りパーティー)でした。
普段シェアハウスのみんなに作っているクッキーを持っていったんです。簡単に作ったものなのに、意外にもみんなが喜んでくれて、そのとき隣にいた女性が「私もこんなクッキーを焼くようなママになりたかった」と言ったんです。クッキーを焼くことなんて誰でもできると思っていたので驚きました。彼女は「うちにはオーブンがないし、クッキーを焼くなんて難しそう」と、ハードルを感じている様子でした。また、別の女性は「うちの子にはアレルギーがあるからクッキーなんて作ったことがない」と言っていました。そこで、「わかった!アレルギー対応のクッキー生地のレシピを探してくるから、一緒に作ろう!」と提案しました。一度やってみたら簡単だと分かるはずだと思ったんです。
ところが、ネットであれこれ探してもアレルギー対応の美味しそうなクッキー生地のレシピが見つからない。ビーガンクッキーのレシピはありましたけど、卵やバターを使わない分、コクを出すためにナッツやピーナッツバター、アーモンドが多く含まれていたんです。アレルギーの観点からすると、全然ダメで。もう私がレシピを考えた方が早いな。と思い、どうせならもっと楽しく子供と遊べるものが良いと思ったんです。昔、クッキー作りで色をつけたことを思い出し、「アレルギーフリーでカラフルなクッキー生地ってないの?」と探したのですが、商品としては世界のどこにも存在しなかったんです。
「これ作ったら、私が世界初!?」と思ったらワクワクしてきました。クッキーは世界中で愛されていますし、粘土遊びも世界共通の遊びです。さらにアレルギーの子供が増えていたり、食に対する意識の高まりも日々感じていたので、グローバル展開すればスケールすると確信しました。もちろん初期投資がそれほどかからない点も大きな魅力でした。そこで、「これで起業しよう!」と決めたんです。
--お母さんの負担に寄り添い、母子間のコミュニケーションの促進にもつながりますね。それに、アレルギーのある子どもが増えている今の時代にもマッチしていて世界にも類似商品がない。
竹内氏:調べれば調べるほど、プラントベースの食品市場が拡大していることが分かりました。デジタル化が進んでいる今、エデュケーションの観点でも広がる可能性が見えてきたんです。アメリカでは、粘土遊びが教育の一環として多くの学校で採用されています。だから、このクッキー生地は単なるお菓子ではなく、「教育ツール」としても活用できるのではないかと考えました。
シリコンバレーに移住して最初の3年間は、「とにかく文句を言わずにやろう」と決めていました。でも、4年、5年と経つうちに、「この状況を何とかしないと」と考えるようになったんです。その経験が起業への原動力になっています。
起業してからの困難にどう立ち向かったのか
竹内氏:アメリカでシェアキッチンを借りるには、LLC(有限責任会社)を設立する必要があったので、2019年に会社を設立しました。その際、Kickstarterでクラウドファンディングを行い、妹にも相談したら「お姉ちゃんならできる」とお金を貸してくれたんです。そこから半年間研究を始めました。ところが、アメリカには日本のようなクール宅急便がないことを初めて知ったんです。日本以外の国では、コンシューマー向けの宅配サービスにクール便がほぼ存在しないんですよ。
法人にしても、冷蔵が必要なら保管用の冷蔵庫、輸送用の冷蔵車、さらには売り場にも冷蔵設備が必要になります。冷蔵か常温かで、コストが大きく変わるので、クッキー生地に保存料を使わずに安全に長期間常温保存できる方法を研究し、1年ほど一人で研究を重ねた2020年、まだ味やクオリティは低かったものの、常温でアレルギー対応の生地を保存できる可能性が見えてきました。さらに研究を進めれば実現できると確信し、組織を株式会社に変更してエンジェル投資家から出資を募りました。途中コロナもあり、結局まともな商品になるには3年くらいかかりましたけど。
--なるほど。ベンチャー企業のような形で調達をされたんですね。
竹内氏:そうですね。アメリカの起業環境は日本と全く違っていて、調べれば調べるほどハードルが高いんです。でも、私が住んでいたシェアハウスには起業家ばかりでしたから、リアルな起業家たちと交流することで、銀行口座の開設方法や、ビザなしで起業する方法も学ぶことができましたし、ネットの情報だけでは知り得ない情報もたくさん教えていただきました。私自身も家族ビザの関係でソーシャルセキュリティナンバーを取得できず、不便なことが多かったのですが、現場の知識を活用しながら道を模索しました。
最初のローンチから5回ほど生地の改良を重ね、徐々にバージョンアップし、2024年の夏・秋ごろにようやく納得できる商品が完成しました。
--現在のフェーズでは、どのようなアクションを取られていますか?
竹内氏:2021年にコロナの影響でアメリカで進めていたことを全てストップし、日本に帰国しました。アレルギー対応の工場がなかなか見つからなかったり、日本で手に入る材料での再研究、パッケージやクラファン、商品開発は1から10までさまざまな要素が絡むので、なんだかんだ2年ほどかかり、本格的に動き出したのはこの1年という感じです。
日本でファーストローンチを迎えたので、まずはPMF中心に色々市場の反応を見ている状況です。
--ここまでの道のりを振り返って、モチベーションの源泉や価値観について、どのように感じていますか?
竹内氏:私の場合、出資を受けたり、多くの方に応援してもらったことで、「恩返ししなければ!」という気持ちが強いですね。もしすべて自分の資金だけで進めていたら、途中で諦めていたかもしれません。でも、人から応援を受けることで「頑張らなきゃ」と思えるんです。応援してくださってる方々には、細かい報告はなかなかできていませんが、Facebookグループなどで時々報告しています。
今後の事業の展望とは?
竹内氏:きちんとアメリカで事業をスケールさせたいと思っています。もちろん日本でも展開していきますが、やはりアメリカの方が話が早く、市場規模も大きく、進めやすいんですよね。今年こそはアメリカに行き、本格的に事業を展開できるよう、資金調達も現地で行いたいと考えています。
アメリカではほとんどの家庭にオーブンがあり、ベーキング文化が根付いています。一方、日本ではまだそこまで一般的ではありません。また、アメリカでは治安の関係で子供を外で遊ばせにくく、親子の時間が長いという背景もあり、こうした環境の違いからもアメリカの方が市場としての広がりが早いと感じています。
--息子さんもスタートアップ(株式会社Verne Technologiesを2023年設立)を立ち上げていますよね。ご両親の影響も大きいと思いますが、どのように起業に至り、どのような後押しをされたのでしょうか?
竹内氏:息子はアメリカの大学に進学したのですが、その大学がオンライン授業を提供していたので、コロナ禍の間は日本で授業を受けていました。カフェなどで英語の授業を受けると、ディベート中心のため声を出す機会が多く、周りの人に聞こえてしまうのが気になったそうです。「自分の声が周囲に漏れないようにできないか?」と調べる中で、防音や物理的に音を遮断する技術に興味を持ち、さらにコンパクトでスタイリッシュなノイズキャンセリング技術を活用できないかと考え始めました。そうしてビジネスコンテストに挑戦し、何度か優勝したこともあり、VCから出資いただいてスタートアップとしての道が開けた、という流れです。
息子自らが道を切り開いてきたので、私からの後押しは「いーじゃん」の一言の応援のみ。ただ、本人曰く、親を含め、起業家の中で育ったので、そのハードルはめちゃくちゃ低かった。というのと、お花畑遺伝子は受け継いだとのこと(笑)。
今、うちの家族には3人の起業家がいますが、全員まだまだこれからです!
CxOキャリアを歩みたい女性達へのエール
竹内氏:起業は、結婚や出産と並ぶ人生の大きな選択肢のひとつです。私のように結婚し家庭を持ったうえで起業することには、男性とはまた違ったハードルがあります。
起業にはパートナーの理解が必要で、そこが難しいんですよね。
「起業はケンカしてまでやることなのか?」と考えると、なかなか踏み切れない人も多いと思います。結局は、起業するかどうかは、結婚相手による部分が大きいとは思いますが、私の場合、約18年、家事も子育ても全力でやり尽くして、「もう十分尽くしました、子供もここまで大きくなりました!」という状況になったことで、「じゃあ、次は自分のやりたいことをやってもいいでしょ!」と開き直れたんです。逆に、もし玉の輿に乗っていたら、起業はしていなかったかな(笑)。
結婚の方が起業よりもよっぽど勇気がいると思いますよ。だって、結婚の方が人生に大きく影響するでしょ?起業は、登記したら起業家になれるんです。単純に女性起業家の数がまだ少ないだけで、「やりたい!」と思ったら、それで十分なんですよ。
結婚だって、「この人と一緒にいたい」と思って踏み切る人もいれば、勢いで結婚して意外とうまくいく人もいるし、情熱的な恋愛から結婚してもすぐ冷めることもある。先のことなんて誰にもわからないんです。
起業も同じで、「やりたい」と思ったらやればいい。「この人と結婚したい、一緒に未来を見たい」と思ったら結婚するのと同じ感覚でいいんじゃないかなと思います。起業は結婚よりもハードルが高いわけではないよ、ということを伝えたいですね。


2025/02/20 12:00:00