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【CxOキャリア】波多野昌昭氏のキャリアストーリー

CxO MAGAZINE編集部
2025/03/26 12:00:00

CxOキャリアストーリー014

むかつくノートから始まる起業、事業拡大、M&Aとは。

CxO キャリアサマリー

波多野 昌昭 氏
株式会社DFA Robotics 取締役会長

  • 2004年 青山学院大学卒業後チュラロンコン大学院 入学
  • 2008年 友人と広告代理店を立ち上げる
  • 2008年 漫画専用YouTube「VizMedia」のシステム開発企業WestSideLabの日本メンバーとして参画・起業、2010年売却
  • 2010年 楽天 入社
  • 2014年 リクルートホールディングス 入社
  • 2015年 オンラインプログラミングスクール「株式会社BeSomebody」創業、2017年に売却
  • 2017年 株式会社DFA Robotics 創業、2022年売却 
  • 2024年10月 Marvis Inc, 創業

CxOのキャリアを選んだきっかけや背景は?

hatano01波多野氏:青山学院大学を卒業後、アメリカの医療系の会社に行く予定でした。でも、卒業式の2日前に「業績悪化で新卒採用なし」と告げられ、入社前に職を失ったんですよね(笑)。進路が突然なくなり、父に相談すると「タイで一番の大学と縁がある」と言われ、特に興味はなかったのですが、タイのチュラロンコン大学院に進学しました。そこでの環境は面白かったですね。エリート学生が多く、新しい仲間もできました。ただ、勉強には興味が持てず、ゴルフやテニス、遊びに夢中でした。卒業課程は修了しましたが、卒業試験の日に寝坊してしまい、結局卒業できませんでした。その後、ピーティーエス・コンサルティング・ジャパン㈱に入社しました。もともと起業よりも「社長になること」を意識していて、面接で「社長になるためにここに来ましたが、いいですか?」と率直に伝えました。すると、小島社長から「それ面白いからやってみたら」と言われ、採用されました。そこで多くを学び、退職後起業しました。

--起業を意識されたのはいつごろですか?

波多野氏:小さいころからですね。父が会社を経営しており、その姿を見て育ちました。大学生の頃は、父と一緒に事業をしている方の会社でアルバイトをさせてもらい「社長ってすごい」「よく分からないけどカッコイイ」と思っていました。昔から、カッコイイことやモテることをしたくて、歌手やスポーツにも挑戦しましたが、どれも才能的に難しく、社長ならできるかもしれないと漠然と考えていました。父は会社を経営しつつ、本業はジャーナリストで物書きでした。父は好きなときにテニスに行き、常に家にいる。リモートワークがない時代から、そんな生活をしていたので、それを見て僕はその働き方に憧れてたんですよね。自由な働き方をするためには会社を経営し、自分でコントロールする必要があると感じていました。

初めての起業。挫折からの学び、転機

hatano02波多野氏:リーマン・ショックがあった2008年、僕は26歳でした。担当する企業の一つがリーマンでした。あんな大きな会社でも潰れるなんて、と当時は大変驚きました。またその経験から大手に就職すること事態に興味がなくなりました。そこで軽い気持ちで、友人と広告代理店を立ち上げました。当時の貯金は50万円。「3か月あれば絶対マネタイズできる」と思い込んでいたので、社員も雇い、7枚持っていたクレジットカード全ての限度額いっぱいまで借りて事業を始めました。でも、当然そんな甘い話はなく、会社はすぐに潰れました。原因はいろいろありましたが、最大の失敗は「自分ができることを事業にした」ことでした。ビジネスは、人の課題を解決しなければ成立しません。「こういう世界があったら素晴らしい」と思って始めた事業と、「この課題をこう解決する」と考えて作る事業では、成功率が全く違います。当時の僕は前者で、自分の理想を押しつけただけ。世間のニーズと合っていなかったんですよね。

--その後、どのようにキャリアを進めたのですか?

山田氏:ちょうどその頃、広告代理店を経営する外国人2人に出会いました。彼らが日本の責任者を探していたので、そこに入社しました。その会社は成功していて、僕は日本のヘッドとして給料をもらう立場になりました。ただ、給料の半分以上はクレジットカードの返済に消え、2年間は苦しい時期でもありました。その会社は後にM&Aされ、買収したのは、元ペンタゴンの天才エンジニアで、日本のアニメが大好きな社長(ガーガン・シン)が率いる企業でした。彼は趣味で日本の漫画配信事業もやっていましたね。彼の会社の日本の責任者になりました。ガーガン氏の会社は小学館からVizMediaという漫画配信サービスを委託されていました。最終的に小学館がその会社を買収し、僕も少し株を持っていたので、そこから急にお金が入り「こんなふうに会社が売れるんだ」と驚きましたね。ガーガン氏の拠点がシリコンバレーにあり、彼からスタートアップの世界を教わりました。それが大きな学びとなり、29歳でVCの世界に飛び込みました。シリコンバレーがITベンチャーブームで盛り上がっていた頃です。何もわからない僕に、ガーガン氏がいろいろ教えてくれたことでキャリアが開けていきました。

--30歳頃には借金を返済し、資金もできたわけですが、そこから次の起業へと向かったのですか?

波多野氏:いえ、そのタイミングで楽天に入りました。たまたま縁があったのと、楽天が海外スタートアップとのアライアンスや投資を進めていたからです。これに関われたら面白そうだと思いましたし、ネームバリューのある企業なので、スタートアップ業界に入り込むための名刺代わりになるとも考えていました。結果的に、シリコンバレーやロンドン、ニューヨークに頻繁に行く仕事に就くことになりました。当時楽天はリンクシェアというアフィリエイト会社を約240億円で買収したり、ライドシェアの競合「リフト」に出資したりしていました。社内の公用語が英語に切り替わった頃で、僕は海外育ちで英語がネイティブだったため、それが大きなレバレッジになったんです。入社直後から役員に頼まれて三木谷さんの会議で英語プレゼンを担当し、役員や三木谷さんと関わる機会が増えました。それがきっかけで経営の最前線を学ぶことができました。TechCrunchなどで情報を追っていましたが、実際に足を運ぶと、メディアに出ない情報が9割でした。この経験を通じて、現場に身を置き生の声を聞くことの重要性を学びました。

会社員と起業の二足のわらじ

 波多野氏:楽天を32歳で退職し、リクルートのCVCを担当していた方とのご縁でリクルートホールディングス、リクルートストラテジックパートナーズに転職しました。ただ、その時点で「株式会社BeSomebody」という会社をすでに立ち上げ教育コンテンツを作っていました。会社員と起業の二足のわらじ状態です。楽天時代、スタートアップの方々と交流する中で、プログラミングがわからないと話についていけないし、適切な判断もできないと痛感したんです。それで学ぼうとしたのですが、社会人向けのスクールではHTMLを学ぶだけで20万円もかかる。日本では学習コストが高すぎることに疑問を感じていたところ、シリコンバレーで「Udemy」を知りました。そこでポルトガル人のビクター・バストス氏が99ドルで提供するオンライン講座を見つけたんです。すでに5000人に売れていて、「これで5000万円の売上!?」と驚きました。すぐに彼にコンタクトを取り、ポルトガルまで会いに行ったんです。そこで、「この講座を日本語に翻訳し、マーケティングも無償でやるから、日本語版の権利をもらえないか?」と交渉し、50%の収益分配で合意。半年かけて翻訳し、日本向けのコンテンツとして公開しました。ところが、最初の3カ月は全く売れず、「こんなに頑張ったのに…」と落胆していました。その後2カ月ほど経った頃、突然ベネッセがUdemyに70億円を出資することに。その直後、ベネッセから連絡があり、「ぜひ販売させてほしい」と。世界で最も売れている英語講座の日本語版ということで、ベネッセの社員が一気に購入し、そこから毎日何百人も買うようになって、一気に売上が伸びました。余談ですが、彼は元プロサッカー選手で、クリスティアーノ・ロナウドの先輩でした。僕もサッカーをやっていたので、何も知らずに「俺、結構うまいよ」なんて言って、一緒にプレーしたんですが…全然歯が立たなかった(笑)。

「むかつくノート」から生まれた事業、売却

hatano03--振り返ってみて、この事業には直感のようなものがあったのですか?

波多野氏:Udemyが日本に来るかどうかは分かりませんでしたが、プログラミング学習の価格が高すぎるという課題は明確でした。それを解決しようとしただけですね。僕、「むかつくノート」というものを持っていて、世の中の理不尽なことを記録してるんです。プログラミング学習の価格もそうだし、病院の待ち時間、渋滞、お手伝いさんのビザ申請の手続き…理不尽に思うことを全部書いている。その中の一つが、Udemyの翻訳事業でした。ただ、Udemy講座の購入者対応が想像以上に大変で、リクルートの仕事との両立ができなくなりました。プログラミングってエラーが出るじゃないですか。そのエラーをコピペして僕に送ってくる人が続出。でも僕は翻訳しただけで、内容を作ったわけではないので分からない(笑)。最初はGoogleで検索して回答していましたが、すぐに限界を感じました。そこで、回答担当者を雇ったり、ポルトガルのチームに聞いてもらったりしましたが、それでも追いつかなくなり…結局、リクルートを辞めました。その後、最初の講座だけでなく、そこから30本ほど講座を展開しました。世界中の人気講座をどんどん日本語化し、オリジナルの講座も制作して事業を拡大しましたが、最終的には売却しました。

--売却の背景は?

波多野氏:結婚して、セイシェル共和国に引っ越すことになり、そこで買いたい家があったんです。ただ、高額だったので会社を売ることにしました。実は、妻が元々Yahoo! JAPANでM&Aの専門家をしていて、「会社を売ればいいじゃん」と言われたのがきっかけです。売却額は何十億というレベルではありませんが、十分な額でした。当時は競合も増えていましたが、講座を一度購入した人は新しい講座も買ってくれる傾向があり、ユーザー基盤の価値が評価されました。
その後、さらに2回会社を売却していますが、その経緯についてはまたの機会に。
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